「右の頬を打たれたら」とは「相手によって、嫌な感情が生み出されても」の意味で、 「左の頬を差し出しなさい」とは「相手の幸せを願いなさい」という意味。
つまり相手に酷い事をされても、やり返すエネルギーを使わずに、相手の幸せを願いなさいという事。
なぜか?
それは、それが出来れば、頬を打ってきた相手の低い波動に影響を受けないで済むから。
高い波動を維持する事で相手の低い周波数と一致しないので結果的に打たれないで済むということ。
物理学の運動方程式F=maで例えるとわかりやすい。m(質量)a(加速度)=F(力)
相手がどんなに攻撃性あるエネルギーでぶつかってきても力(F)をゼロエネルギーにすれば相手のエネルギーもゼロになる。
合気道の世界がまさにこれ。
自分を攻撃してきた人を怪我をさせずに交わす。もしくはエネルギーを吸収して無力化する。
そうする事で自分も傷つかず相手も傷つかない。
攻撃してくる相手(頬を打つ側)は、何をしても暖簾に腕押しの勝てない強さと、攻撃しかける自分さえも傷つけようとしない優しさに驚く。
愛の存在に気づき、次元の違いに降参せざるを得なくなる。
結局ひどい事をされても誘いに乗らず相手の幸せを願うことができれば、確実に幸せな状態でいられる。
そして頬を打った相手は、やり返されるどころか自分の幸せを願われていると知ることで危害を加えようとはしなくなる。その必要がなくなるから。
つまり、左を打たれたからと言って、右の頬を差し出しても、打たれる事はないという事。
右の頬を差し出して愛との調和を示す事で、引き寄せの法則が働いて低い波動の人との引き離しがおこる。
右の頬を出したら右も打たれると思うのは、打ってくる人の低い波動に自分を合わせる事になる。
その低い波動に合わせた引き寄せの法則が働くので差し出した右も打たれて泣きっ面に蜂になる。
結局は、相手にどんな不快な酷い事をされても、その相手の幸せを願った方が争わずして人生上手くいくって事になる。
心優しい人はつい波動の低い人に寄り添ってあげたくなる。でも、それでは共倒れ。事態は悪化の方向に進んでしまうので、次元高い人は低い人に合わせてはいけない。
次元高い人がやることは、高くなりたい人を引き上げてあげる事だけ。愛を教えてあげる。低い場所に留まりたい人に寄り添う必要もないし、低い場所に下りてはいけない。
私の尊敬する武道家、故塩田剛三の名言『合気道とは自分を殺しにこようとした人と友達になる事』に通じてる。
久々に稽古中の道場に足を運べて合氣の波動を浴びて思った。やっぱ合気道は最高だな♡